知人で75歳になる男性が愚痴っていました。
「若くして5階建てのマンションを購入して、妻が最上階でなければ意味がないと言うので5階に決めた。でもエレベーターは付いていないので大変・・・」
神戸市在住なのですが買い物は15分ほど歩いて行くスーパー。夫人は膝を痛めて、次第に腰も悪くなり、加えてその男性も病気がちで要するに二人とも不自由この上ない状況になってしまったのです。
二人の娘さんは婚期が遅く、子育て真っ最中。仕事、家庭、子育てで限界。この上両親のダブルケアは無理というものです。最近よくある事例でしょう。
“2025年問題”とネットや新聞紙上では「団塊世代の75歳達成時に生じる課題」など、医療、住まい、年金などの社会問題を取り上げています。
でも、必ず1年経てば1歳としをとるのですからこうした予測は当然のこと。
今更「どうなる」ものではないと思います。
その男性は生じるだろう問題をなぜ予測しなかったのでしょうか? 国の制度も「超・超高齢化社会」が来ることに対応しているとは思えません。介護施設だけは、空き地などに春の土筆が芽を出すごとく造られているように見えます。
ヒトは「若しかしたら困らないかもしれない、神風が吹き困難が避けられるかもしれない」と勝手な思い込みが好きなのでしょうか。
なってみなけりゃ判らない?「なるまで待とうホトトギス」は少しの悲しさや矛盾も伴うのです。
(ma)