「NPO法人六甲山と市民のネットワーク」主催で、去る10月7日、8日 当館ロビーで行われた写真展の折、 この催しのことを知って参加申し込みをしていたものです。
阪神間に住んでいる人にとって、朝に夕に見て暮らしている大変親しみのある山、地元の人に愛され続けている六甲山は
明治時代、神戸港開港とともに居住した外国人が避暑地として好んで行くようになったことから始まります。自然の中で暮らし、楽しむ ”リゾート文化発祥の地”ともいえる六甲山の歴史的価値を再発見しようとするものです。
郷土史研究家 中尾嘉孝氏の案内でケーブル山上駅から日本で最初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」や今月いっぱいで閉鎖する「六甲山ホテル」(後に改装して再オープンする予定)と散策しながらおもしろいエピソードを聞かせていただけましたので写真で紹介いたします。
ケーブルで僅か10分で山上に到着。
ケーブル山上駅のレトロな駅舎。
新鮮な空気を胸いっぱい吸って歩きました。
こじんまりしたゴルフ場の玄関。115年の歴史が偲ばれます。
クラブハウス近くに置かれている、この石に刻まれている「101」とは何を意味しているのでしょうか?初めて六甲山に山荘を建てた六甲の開祖と呼ばれるイギリス人貿易商A・Hグルーム氏の山荘跡なのですが、101とは神戸居留地にある彼の商館の番号をそのままとって101としたそうです。グルーム氏は大変日本が好きで日本人女性と結婚して日本人と同じように日本家屋に住みたいとの希望で現在の東門筋と中山手通りが交わるところの三角地、ちょうど西村珈琲本店の向かいあたりに住んでいたそうです。
1903年5月24日神戸ゴルフ倶楽部の開場式が行われました。兵庫県知事や神戸市長、英国領事などが参加。その時、当時の兵庫県知事が始球式で打ったボールが左、中央が開場100周年の記念式典で現在の井戸兵庫県知事、右が70周年のボール。
歴代クラブ選手権優勝者の名前を載せるチャンピオンボードの形式はここから全国のゴルフ場に広まったものと思われます。 籐の椅子は戦前から使われているそうです。
18番グリーンから見たクラブハウス。
六甲山ホテルのことは次回に紹介します。それと「六甲山の曲」も、、、
はち乃めだか