数年前、友人からメダカをもらって飼い始めました。
特にメダカを飼いたい願望があったわけではない。
毎日エサをやったり、ときどき水槽の水を取り替えてやったりすることが老化予防に効果があると聞いたからである。
とうぜん犬や猫のように飼い主が家に帰ってきたからといって、よろこんでじゃれついてくることもない。
メダカに名前を付ける気もない。ときどき水槽を覗いては元気でいるか確かめるくらいである。
それでも不思議なもので,この頃 鉢のメダカを通していろんなことを考えるようになりました。
エサを残さず食べているだろうか、暑い日が続くと水温が上がって息苦しくないだろうか、はたまたメダカは鉢の中で幸せなんだろうか、とか。
生き物はすべてそうだと思うが、エサを与えすぎないことが大切で、食べ残しのエサは発酵して水質が悪くなって緑色に変わります。
そうなったら水を取り替えてやらなければならない。(水道代が掛かる)
さらに大げさに言えば今日の飽食の日本と同じでコンビニやスーパーの賞味期限切れの食品が無残にも焼却処分されている現状に通じるものがあります。
世界には飢えに苦しみ、人が一日に必要とするカロリー(食料)が取れていない人口が何億人といるなかで、今こそ不要なものをたくわえず、必要なものを必要なだけ消費する精神を大切にしなくてはならない「時」であると思う今日この頃であります。
”炊くだけは風が寄せくる落ち葉かな”
この句は MBSラジオ「ありがとう浜村淳」の受け売りですが、贅沢をつつしみ、くよくよせず、自然にまかせればなんとかなる。
味わい深い句です。
はちのめだか