スタッフのつぶやき

昭和30年代の思い出 その2

当ホール事務所には少人数ながら、20代から70代まで各世代の職員がおりまして、それぞれ経歴、学歴もさまざま、ある種異文化交流の場となっています。時には若者の話題についていけないこともありますが、またその逆パターンもあったりして時々思いがけないハプニングが起こります。

先日も筆者と同世代の職員が軽井沢に行って来たと、旅の話で盛り上がっていました。
「天気が悪かったのでショッピングセンターで卓球をしてきた」と言う。筆者、すかさず定番のオヤジ突っ込みを入れました。「軽井沢に行ったからにはテニスをしないと!」。ソコソコ受けると思っていましたが、その場に居合わせた20代と30代の男性職員には軽井沢とテニスが結びつかないらしい。その場の空気はご想像のとおりです。
この有名なエピソード、日本人なら誰でも知っていると思い込んでいた私が甘かった。軽井沢とテニスの関連性がある年代から下の人たちには全く通じないことがわかりました。
時代を繋ぐというか、昭和を検証する意味でも昔の思い出ばなしもあながち無駄ではないようです。

昭和34年4月10日、天皇陛下(当時は皇太子殿下)と美智子妃殿下がご結婚されました。軽井沢のテニスコートが取り持つご縁で民間(皇族や華族以外)の美智子様と結ばれたことが大きな話題を呼び、美智子さまは絶大な人気で「ミッチーブーム」が巻き起こりました。
その年、わが母校大橋中学ではテニス部に80名(例年は多くて20名)もの新入生が入部しました。狭い校庭にはテニスコートが1面しかなく、必然的に新入部員は空きスペースで素振りをするかランニングをするかでボールを打つところまで行きません。次々と退部して一学期が終わる頃には1年生部員は僅か15名にまで減っていました。コートが1面しかなかった事情を考慮しても流行に素早く反応し、冷めるのも早い国民性はいつの世も変わらないようです。

ところで、ブログを書いていて中学3年間の写真の数が極端に少ないことに気づきました。度重なる引っ越しの途中で紛失したり破損したのではなく、そもそも写真を撮ってなかったのです。手元にあるのは卒業アルバム、修学旅行と遠足の集合写真が数枚あるだけです。


修学旅行 江の島にて、この写真に見覚えのある方はご一報ください


遠足 須磨浦公園にて

昭和30年代前半はカメラ(写真機と呼んでいた)を持っている人が少なかったんですね。
昭和39年開催の東京オリンピックが近づくにつれてカメラや家庭電化製品が庶民にも手が届くようになりました。

むかし話でひっぱりますが、次回はバレー部のことを書かせていただきます。強豪上野中学も登場しますのでご期待ください。

はち乃めだか

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