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「水道筋周辺地域のむかし」より

神戸大学文学部地域連携センター編「水道筋周辺地域のむかし」

NHKの人気番組「ブラタモリ」で神戸が取り上げられており、興味深く見ました。
長年神戸に住んでいながら知らないことの多さに自ら驚き、恥じ入るばかりですが、案内役の郷土史研究家の話に「なーるほど」と今更ながら感心させられました。
その昔、湊川が天井川で新開地をさかいに東と西に分断されていて、人の往来もままならなかったとか、たび重なる水害から街を守るため湊川隧道が掘られたとか、先人は災害対策で苦労の連続だったんですね。湊川公園から新開地本通りへの傾斜はいかにも天井川の痕跡を感じます。
「昔の人は偉かった」と感心していたところ、ある日、事務所のテーブルに一冊の本が無造作に置かれていました。「水道筋周辺地域のむかし」というタイトルで帰りの電車で軽い気持ちで読んでいましたが、読み進むうちにこの本はとてつもなく綿密な調査に基づいて書かれた学術的なものであることが理解できました。そして今まで神戸のことを間違って解釈していた自分にまたもや「喝!」を入れざるを得ないことに気づかされました。
灘地域に住む人々の暮らしぶりが詳しく書かれているのですが、荘園のころから江戸時代、明治に入ってもなお常に水不足の問題があって村と村で水利権をめぐって争い事が絶えなかったと記されていました。古地図にも都賀荘・河原村・稗田村・畑原村・篠原村・原田村・上野村・八幡村・高羽村・徳井村など今も馴染みの地名が載っていて歴史が受け継がれていることがわかります。
神戸は六甲山を背にうけているので良質の水が豊富にあるものだと思いがちですが、こと農業用水となると川が短く、傾斜がきついので溜池が作りにくかった。よって米作りには向いていなかったことがわかります。
ちなみに当時の年貢は一般的に1反(約1000㎡)当たり1石半(15斗、約225㎏)だったそうです。
といってもどれくらいのものかサッパリわからないので、ちょっとネットで検索してみると、1反当たりの平均的な収穫量は3石(約450㎏)で6人家族が1年間に食べる量と書いていました。(参考まで)
何かまとまりのないブログになってしまいましたが、灘地域に限らず神戸は水の確保が難しく米作りには適さない土地柄で農民は大変な苦労があったということと、その反面、水深のある良港に恵まれて商工業で繁栄した。
ということですべてに良いことはありませんね。悪いところがあれば良い所もあるということでしょうか?
次回は水道筋の名前の由来について書きたいと思います。

はち乃めだか

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