スタッフのつぶやき

人生の大事なことは映画が教えてくれた <番外編>

みなさんご無沙汰しております、ヨドガー・ナグァ・ハールです。
「人生の大事なことは映画が教えてくれた」シリーズは3月に終了しましたが、最近観た映画が大変良かったので、今宵1回限りの復活!
実はこれ、別のところで書いた文章なのですが、こちらでもご紹介させていただきます。
6月2日現在まだ公開中の映画で、多少ネタバレも含みますので、未見の方はご注意ください。
 
 

 
 
これほどの心揺さぶられる映像体験になるとは思わなかった、映画「メッセージ」。
冒頭、いきなり印象的な音楽。
「シャッター・アイランド」のサントラ(ちなみにこのサントラは、スコセッシの音楽センスに完全にノックアウトされた素晴らしさ!)で聴きまくった、マックス・リヒターの名曲。なるほど、既存曲できたか・・・。
「シャッター~」とは違い、映画のトーンを決定づけるような使い方だ。
 
まずここで心がざわめく。
 
やがて正体不明の飛行物体(要するにUFO)が12機(台?個?)、世界各地に現れ、上空に静かに留まる。
この風景、中学生の頃に好きだったアメリカのテレビドラマ「V」をちょっと思い出した。シェイプは何となくメタリックになった柿の種みたいだけど・・・。
さて、この飛行物体に乗って現れたエイリアンと、人類はコミュニケーションを図ろうとする。
 
主人公は言語学者。
ここから物語が動く。
 
「思考は言語に規定される」
 
という、この物語にとって重要な仮説も、序盤で紹介される。
ドラマツルギーの定石として、エイリアンの言語を解読、理解することによって、後半、主人公の思考に変化が生じるであろうことは容易に想像がつく。
では、どんな風に解読していくのか?
 
このあたりは、これも好きな映画である「未知との遭遇」にも通じるワクワク感があって、さらに心がざわめく。
 
「未知~」でエイリアンとコミュニケーションをとるための有名な5音階はいかにも西洋風だったけど、「メッセージ」でのそれはアート書道のような表意文字。すごく東洋風。原作者がテッド・チャン、名前からして中国系。表意文字というのは西洋人からすると異文化っぽく映るのかもしれない。しかし漢字を使う日本人にはすんなり入ってくる。
 
主人公たちは恐る恐る宇宙船の中へ。
いきなり前後左右はおろか上下もない、無重力状態の描写。
宇宙船内でのエイリアンとのコンタクトのシークエンスは、映像も音楽もなかなか強烈。
 
ここにきて、三半規管が破壊されたかのような浮遊感に襲われる。
 
所々に差し挟まれる、幼くして亡くした娘と主人公とのフラッシュバックが、目眩のような錯覚を助長する。
そして終盤、ついにエイリアンの目的、“メッセージ” が分かる。
その瞬間、ラストシーンは読めてしまう。読めるから涙が出る。
しかし泣いてばかりはいられない。人類を滅亡から救うサスペンスフルなシーンが続くからだ。
ここでドキドキした後は、感動のエンディングになだれ込んでいく。
あー・・・なんと気持ちよく疲れさせてくれる映画なんだろうか。
 
エイリアンの言語には、ある概念がなく、それを解読したことで主人公は “その概念がない” 世界をも理解してしまう。
まさに「思考は言語に規定される」のだ。
そのことによって人類を救い、そしてラストではある選択をすることになるのだが。
 
ここがもう・・・。
ふたたび冒頭のマックス・リヒターが流れ、いくつかのシーンが映し出されるのだが、大袈裟ではなく、もはや涙で画面が全然見えなかった。
 
ラストシーンが音楽との相乗効果で泣ける映画は、これまでにも何本かあった。
ここ数年ならチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が鳴り響いた「オーケストラ!」とか。
でも、エンドロールに至るも号泣の挙句、終映後場内が明るくなって恥ずかしいと感じるぐらい泣けたのは、記憶する限り「フィールド・オブ・ドリームス」しかない。
「フィールド~」は、「ラストシーンはこうあってほしい!」と願ったところで、ケヴィン・コスナーが「父さん、キャッチボールしない?」と言う。そして望んだ通りの美しい、歓喜のフィナーレになる。この時、ジェームズ・ホーナーの感動的なスコアのボリュームが上がって涙腺が決壊する・・・。
 
「メッセージ」も同じパターンだった。
亡くなった娘と主人公の一連のシークエンスの謎が解け、最後の最後に主人公が下す決断は、力強い生命賛歌ですらあったと思う。
「ラストシーンはこうなるんだろうな」という通りの決断、そこに被さる静謐な詩情にあふれたマックス・リヒターの音楽。
「フィールド~」にあった歓喜はない、むしろ余りにも切ないフィナーレ・・・でも、どこまでもポジティブな決断。
“いま” この一瞬に正直に、大切に、‌愛おしんで生きることの喜びも悲しみも、すべてを受け入れた上で自分の意志で人生を選択する。
受け入れるといっても運命を受け入れるというのとは全然違う、強い生命力を感じさせる “メッセージ”、もう何も言うことはありません。
 
涙腺が決壊して、本当に大変でした。
素晴らしい感動、素晴らしい映像体験だった。
願わくば、自宅のテレビではなく劇場で、もう一度観たい。
 
 
ヨドガー・ナグァ・ハール

スタッフのつぶやきカテゴリー

スタッフのつぶやき

市民主催講座ご案内

NADA★創作講座~ボイスドラマ編~