みなさんは教育現場、特に大学で使われる「シラバス」をご存じだろうか?
今の学生にとっては当たり前に存在するものかもしれないけど、ある一定以上の年代の人は案外知らないのでは・・・?
少なくとも筆者は数年前まで知らなかった。
さて、そのシラバスなるものの正体は、授業の計画書というか工程表のようなもので、少なくとも自分の学生時代には存在しなかったものである。
その存在意義は何だろう?
改めて考えてみる。授業内容を知らせるのは予習のためにも意味があるだろう・・・と思える。しかし、最近のシラバスでは「到達目標はこれです」「こういう効果があります」といったことが毎回の授業で示されている。
この必要性って何?
ふと疑問を感じてしまう。
そもそも論になるけど、未知のものを知ったり、分からないことが分かるようになるのが学びの喜びではないのか。学ぶこと自体が楽しいというか。
勉強の半分は手段でいいけど、半分は目的として残す、このぐらいが良いバランスだと自分は考えています。
「どんな効果が得られるか」ということばかりを気にして勉強するようになったら駄目だと思う。
そういう風に考えることに馴れた人に限って仕事の場でも「その仕事には何の意味があるんですか?」などと言ったりする・・・ような気がする。
シラバスが “そんな風潮を助長させるもの” になっているような気がして、だから自分はシラバスが好きになれません。
これは別のところで書いた文章なんだけど、これからもどこかに転載するかもしれません。
それぐらい強く思っていることです。
パンチドランカー