2017-02-11
2月10日は、自国で発禁処分になった小説でノーベル文学賞を受賞した作家の誕生日。
小説の名は「ドクトル・ジバゴ」、作家の名はボリス・パステルナーク。
筆者は多くの人同様、この作品を小説ではなくデヴィッド・リーンの映画で知った。
でも「ドクトル・ジバゴ」そのものに興味があったわけではない。
小学校4年生か5年生の時にリバイバル上映で観た「アラビアのロレンス」が衝撃的すぎて、その映画の監督作品なら面白いに違いない!と思って、その直後にテレビ放映されていたのを観たのが最初だった。
「ロレンス」の砂漠の彼方から立ち上る蜃気楼から一転、「ジバゴ」の舞台は吹雪の吹きすさぶ大雪原。
温度感は全然違うけど、3時間を優に超える長尺映画である点は同じ。
歴史のうねりに翻弄される人間が描かれている点も同じ。
最初に観た時は冷戦時代真っ只中とはいえ、さすがにまだロシア革命や共産主義についての知識もイメージも、それほど持ち合わせてはいなかった。モスクワオリンピックを西側諸国がボイコットしてピリピリした空気があったので、ぼんやりと「ソ連は怖い国」と思っていた程度。
その先入観からか登場人物のユーリやターニャ、あるいはコマロフスキーやストレルニコフといった名前、ボルシェビキといった言葉の響きに、得体の知れない怖さは感じていたかもしれない。そういえば、パルナスのコマーシャルもなぜか少し怖かったことを思い出す。
それはともかく、子ども心に強烈だったのは、この映画で初めて “大人の女の人” の魅力に触れたことだ。
ラーラという役が・・・というよりは、演じるジュリー・クリスティの醸し出す雰囲気が大きかったように思う。
生々しすぎてちっとも美しくないラブシーンにはドキドキしっぱなしだった。後年、やはりテレビ放映された「ダーリング」を観た時にも、同じドキドキがあった。
余談だが確か同じ頃、テレビで「エマニエル夫人」を観たけど、シルビア・クリステルにはそういうのがなかった。(それを不思議がられた・・・そのことを何となく覚えています・・・)
ちなみに筆者の小学生時代の好きな女優さんといえば、これはもう圧倒的にジュリー・クリスティにジャクリーン・ビセットに夏目雅子。
でも、「ジバゴ」にはドキドキはあったものの、まだこの頃は作品としては「ロレンス」の方が圧倒的に好きだった。
それが今では逆転してしまった。「ジバゴ」にものすごく愛情を感じるようになったのはリバイバル上映を観てから、だろうか。
革命前夜の街の黒い(暗い、ではない)こと!
静養する田舎の雪原の白いこと!
デヴィッド・リーンの映画は本当に映像が美しい。映像の美しさは大画面のスクリーンでこそ。
物語の後半、純粋な魂をもった詩人のジバゴは、ロシア革命という個人の力では抗いようがない歴史の大波に翻弄されボロボロになっていく。
でも、食べるものも十分にないそんな時でも、紙をとったジバゴはその上にペンを走らせる。そして “ラーラ” と愛する女性の名前を書いた時にオオカミの鳴き声が聞こえ、一度手を止めるものの、それを追い払うと一心不乱に書き始める・・・。
このオオカミの声はもちろん、個人を押し潰す革命権力を象徴しているのだろう。
リバイバル上映の時に震えるような感動を覚えたのは、このあたりのシーンからだ。
結局、巨大な歴史の前に個人は無力であり、あっけないまでの最期は悲惨さをより際立たせる。
それでも、必死に生きてきたその時間が決して “無” ではなかったことが、ラストシーンで明らかになる・・・。
ここはもう、何回観ても涙なしには観ることができません。
人間の尊厳が描かれた映画は数あれど、筆者は「ドクトル・ジバゴ」での表現がとにかく好きで、とにかく心が鷲掴みにされます。
エンドロールでのダムの放水にかかった虹の美しいことといったら!
この映画は、生きている間にまだ10回ぐらいは観たいと思える、数少ない作品のうちのひとつです。
それではまた、次回にご期待ください、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。
ヨドガー・ナグァ・ハール